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テレビ時代劇の復権について思う

 少し前(2018年春)だけれど「時代劇の復権なるか」といった新聞記事を見たことがある。
 読み始めると「テレビ時代劇の…」ということが判明したが、執筆者がどういう状態に戻れば復権したことになると考えているのかが不明瞭だなと思いつつ、他方では安易に復権を目論まない方がいいぜと思って紙面を閉じた記憶がある。
 復権というからには、まず失権が訪れたわけだけど、失権するには必ず原因があるわけで、それを分析し解消しなければ、復権どころか消滅に向かうしかないですよね。

 連続テレビ時代劇が、地上派の民放キー局から消えたのは2016年だそうである。 それ以前の、テレビ時代劇が華やかだったと回顧される時代の引き合いに出されるのは、『水戸黄門』『桃太郎侍』『遠山の金さん』『暴れん坊将軍』などだろう。
  私自身は、これらの長寿シリーズこそがテレビ時代劇衰退の元凶だと思っている。
 理由は簡単。作り過ぎ。これにつきる。

 同じフォーマットにあてはめただけの、ファーストフードみたいな作品を、5年も10年も見続ければ誰だって飽きてしまいます。
 お決まりのラストの立ち回りだって、映画館で観ていた御殿を移動しつつ大暴れするといった空間的な広がりのあるものじゃなく、せいぜい大名屋敷の二間ぐらいと中庭での殺陣ですから、カタルシスもテレビサイズだったわけです。

 無くなるべくして無くなった地上波時代劇枠だけど、以来孤塁を守ってきたのはNHK(2011年はBSのみ)。現在も『土曜時代ドラマ』という枠で連続モノを放映している。
 その造りは丁寧で好感が持てるし、内容的にも一定の水準をクリアしている作品が多い。
 問題はここなんである。お話において、お芝居において、映像において、ドラマファン、時代劇ファンの求める「一定の水準をクリアしている」か否かが存続の鍵なんである。

 人は同じ刺激を受け続けると麻痺する。
 同様に、映像作品も常に「慣れる」や「飽きる」という宿命にさらされている。どんなに面白い脚本であっても慣れるし、特に時代劇は限られた空間での画造りだから、見飽きられる確率が、格段に上がってしまうので大変だと思う。
 だから、懇切丁寧に、それでいてダイナミックな作品を、現状か今より少し多い程度の供給状態、われわれ時代劇ファンが次作を待ちつつ途切れない頻度で、作っていただきたいのだ。

 テレビ時代劇の復権をいう時、地上波各局が一週間に一つ連続枠を作れば、復権が成ったというのだろうか。そんな問題では無いように思う。
 例えばNHKの時代劇の番組ホームページに設置されている掲示板の書き込みを読んでみるといい。時代劇ファンの熱い声が投稿されているが、そのほとんどは「丁寧に作ってくれて有り難う」という共通したトーンが読み取れるはずである。
 民放では現在、BSで時々連続モノが作られたり、地上波では番組改編期などのスペシャル番組として時代劇を観ることが出来る。
 私はテレビはこれぐらいでよいと思う。
 時代劇の復権とか、チャンバラ映画の伝統の継承とかいうものは、本編(=劇場用映画)でがっちりとしたものを作っていただいて、未来に繋げていってもらいたいと思う。

必殺シリーズのサウンドトラックCDのジャケット。
シリーズで一番好きだった仕置人トリオがカバーを飾っている。
とりわけ中村主水はテレビ時代劇が生んだ最高のキャラクターだ。